歳を重ねると、涙腺が緩くなるとは、よく言われる。
歳を重ねた分、その人の生が積み重ねてきた地層、禍福の織り成り、そしてその周りの人の想いに、自分が送ってきた人生を投影し、感情が揺れるのだろうか。
あるいは、歳を重ねていくにつれ、人は自分の感情に素直になっていくのかもしれない。
私にとっての中山大障害は、そういった感覚に近しいのかもしれない。
名物の大竹柵障害、大いけ垣障害を含む、大小11の障害を飛越し、右回り、左回りを入れ替え、さらには何度もバンケットを越えながら4100mの距離を駆け抜ける、まさに障害レースの最高峰ともいえる中山大障害。
年の瀬も近づき、また過ぎ去っていく一年を想いながら、精鋭ジャンパーたちの走りと飛越に、声援を送る。
馬群が一つ障害を越えるたびに、スタンドから送られる大きな拍手。
がんばれ、がんばれ。
無意識に両の手の拳を握りしめ、また一つ障害を飛ぶ姿を見て、涙腺が緩む。
そびえ立つような大きな障害を飛び越えていくジャンパーたちに、やはり自分の姿を重ねているのだろうか。
がんばれ、がんばれ。
その声援は、自分へのエールでもある。
全人馬、無事に。
いつもの祈りとともに、ゲートが開く。
ビレッジイーグルがハナを切り、マイネルプロンプト、アサクサゲンキが番手から追走。その内に潜らせたのが、いつもの水色のメンコを着けたオジュウチョウサンだった。
J・GⅠを7勝と、長らく絶対王者として君臨してきた同馬も、昨年春の中山グランドジャンプ以来、勝利から遠ざかっている。今年で10歳と、現役を続けているだけでも異例の馬齢になってきたが、この中山大障害に照準を合わせてきた。
そのオジュウチョウサンをマークするように、1番人気のタガノエスプレッソ。1年前のこのレースと春のグランドジャンプをともに3着と中山巧者ぶりを見せるが、戴冠なるか。さらには、長い休養明けで今年の秋の東京ハイジャンプを制しているラブアンドポップも、中団外目のポジションからの競馬。
やわらかな師走の日差しに照らされて、正面の1号障害、水ごうを14頭が飛んでいく。
祈るような、心臓がぎゅっと掴まれているような、この感覚。
息をつく間もなく、2号障害の生け垣をあっという間に超えて、馬群はコーナーを回っていく。
ダートコースを横切り、坂を下り、そしてまた駆け上がる。
懸命に駆ける14頭の姿に、涙腺が緩くなる。
大障害コースに入り、大竹柵障害を越えて、場内からも大きな拍手が。
もう一度深い谷に潜り、また駆け上がり、難関の大生垣障害も、全馬が無事に飛越。
右回りに戻り、オジュウチョウサンは2番手まで押し上げていき、3コーナーで早くも先頭に立つオジュウチョウサン。
しかし、最後の障害を前に、西谷誠騎手のブラゾンダムールが仕掛け、外から被せて前に出て勝負をかける。
それでも絶対王者は慌てず、冷静に飛越を決めると、インコースから差し返す。
行くぞ、とばかりに石神騎手の手綱を引くように見えた。
4コーナーを回り、2馬身、3馬身とブラゾンダムールを引き離していく。
これが、絶対王者の脚だ。
オジュウチョウサン、復活の勝利。
2着にブラゾンダムールと、3着には最後脚を伸ばしたレオビヨンド。
入線後、そのブラゾンダムールの西谷誠騎手が、オジュウチョウサンの石神騎手の背をポンと叩き、その走りを称えた。美しいシーンだった。
そして、この難コースを完走した、精鋭14頭のジャンパーたちにも、惜しみない拍手と称賛が送られた。
しかし、オジュウチョウサン。何という馬だろう。
10歳にして8つ目となるGⅠ勝利を、1年8か月ぶりに挙げた。
もう、こんな馬には出会えないかもしれない。
この王者の凄みは、自分で主導権を取り、レースを動かしていくところだ。
自ら動き、自らの力で栄光を勝ち取りに行く。
その不屈の精神力が、絶対王者を絶対王者たらしめている。
しかし、最後の勝利から1年8か月、平坦な道ではなかった。
絶対王者の力の衰えを指摘する声、ちらつく引退の声、そして石神騎手は落馬負傷による長期休養…人馬ともに、雌伏の時を過ごした。
しかし、陣営はあきらめなかった。絶対王者の力を、復権を、信じた。
それを証明することに力を尽くして、今日を迎えた。
それが、何よりも美しかった。
1年8か月、勝利のなかった10歳馬が、障害最高峰のJ・GⅠを制するという、常識はずれの勝利。
絶対王者は、自らの限界をも超えていった。
人馬と、それに携わった陣営の不撓不屈の精神に、最大限の称賛を送りたい。
2021年中山大障害、オジュウチョウサン、不屈の勝利。