大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分の無力さを悟ったときに知る「謙虚さ」とは、心の内に平安を与えてくれる偉大なギフト。

人は自分の無力さを知ったとき、はじめて「謙虚さ」というギフトを受け取ります。

それは、自らの心に平安を与えてくれる、偉大なギフトです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.自分の力がおよばない問題が起こったら、それが癒されるように、天に助けを求めよう

だれでも自分の力がとてもおよばないと感じる問題にぶつかることがあります。

また対立があまりにも苦しいので、それに立ち向かうのに十分な資源や強さや勇気がないと感じることもあります。

そういうときこそ、天の助けを求めましょう。

人とパートナーになることを学んでいくうちに、あなた自身の創造性や天とパートナーになることも身についてくるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.242

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2.ときには「神頼み」を

今日のテーマは「神頼み」、「天任せ」になるでしょうか。

こう書くと、「なんだそりゃ」と思われるかもしれませんが、ときには「神頼み」が必要なこともありますよね。

自分の力が及ばないと知ったとき、人は祈る

だれでも自分の力がとてもおよばないと感じる問題にぶつかることがあります。

多くの人が、こう感じる問題に出会うことが、あるのではないでしょうか。

こんなの無理。
どうしたらいいか、分からない。
どうしようもないし、解決策も浮かばない。

突然の失恋、パートナーの変節、仕事のトラブル、あるいは病気、災害…いろんな場面が、あるのでしょう。

そうしたとき、人はショックを受けます。

それは、起こった問題によって、心が傷ついたり、戸惑ったりしているから、ということ。

それでも、何とかしたいと躍起になって動いたりもしますが、どうにもならない。

そして、自分のいままでの経験の蓄積のなかに、対応策や解決策がない、ということを示しています。

そうしたとき、自分の力がおよばないと知ったとき、人は祈るのだと思うのです。

「せめて、私の心に平安を与えてください」

私自身も、どうにもならない問題に出会ったとき、そうでした。

カウンセリングを受け、心理学を学び始めたころ。

何とかしようともがき、解決策を調べ、どうにかしようと必死になりました。

しかし、どうやっても、その問題は自分の望むようには解決しない。

どうやっても、問題を解決する力が、自分のなかにないことと絶望していきます。

もう、神さまでも仏さまでも、この問題を解決してくれるのであれば、いくらでもお祈りします。

そんなことを、思ったりもします。

しかし、その望みが叶えられることは、ありません。

その問題は、自分にはどうしようもないんだ。

そう悟ったとき、祈りました。

「この問題が解決しますように」、という祈りではなく。

「この問題が解決しないなら、せめて、私の心に平安を与えてください」、と。

不思議なのですが、この祈りは、聞き届けられたんですよね。

なにも状況は変わっていない。

それなのに、自分の心は平穏のなかにいる。

もちろん、24時間、そんな状態でいられるわけではありません。

日々、心は移ろい、感情は揺れます。

けれど、そうした平穏の時間が、増えていきました。

それは、問題をそのままに受け入れるようになった、と言えるのかもしれません。

こうした私の経験が、一般化できる話なのかは、正直よく分かりません。

ただ、どうしようもないとき、「天に助けを求める」ことも、時には大切なことだとは思うのです。

3.「謙虚さ」を知ること

「謙虚さ」は、自分の無力さの先にある

一般化できるかどうか分からない、と書いておきながら、もう少しこの「祈り」について考えてみます。

「祈り」、あるいは今日の引用文のなかでは「天に助けを求める」という行為。

それが、「自分の都合のいいように、世界を変えてください」という方向だった場合、あまりそれが聞き遂げられることは、ないように思います。

いや、あるんでしょうかね笑

そういう種類の願望は、自分で動いて、叶えていくものだと思うのです。

もちろん、その願望が「エゴだ」とか、悪いものだとか、そういうわけではありません。

それがあればこそ、人は自分の望む世界に、自分を連れていってあげることができるのですから。

 

しかし、時に自分の力ではどうにもならないことが、起こります。

自分の力では、どうしようもない。

なんと、自分は無力なんだろう。

そう痛感することが、時に起こります。

そうしたときに、はじめて人は自分の無力さを知ることができます。

その先に、「謙虚さ」というギフトがあります。

「謙虚さ」とは、遠慮することでも、謙遜することでもありません。

それは、心に平安を与えてくれる、大きなギフトです。

自分にできることを知り、そこに全力を尽くす。

自分にできないことは、天に任せる、あるいは祈る。

そうすることは、どこかに置き忘れてしまった自分の軸を、自らの心の内に、取り戻してくれます。

それは、目の前の問題を解決するよりも、大きな意味を持つギフトだと、私は思うのです。

だから、冒頭に書いていた「神頼み」「天に助けを求める」ということは、決して無意味なことではなく、非常に偉大なギフトを与えてくれるのです。

 

今日は「神頼み」から、「謙虚さ」というテーマのお話でした。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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