大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

人の縁とつながり

ブランコと無価値観、あるいは罪悪感か。

大寒波が訪れた週末だったが、よく晴れていた。 午前8時の時点で気温はまだ氷点下だったが、晴れていると外に誘われるものだ。せっかくなのでと、昼過ぎに富士山の遊具がある近所の公園を、息子と娘と訪れる。 午後になって4℃まで気温は上がっていたが、それ…

言葉にする、という強さ。

強さにも、いろんな種類の強さがある。思いつくだけでもいろいろな強さあるのだが、「言葉にする」ということも、ある種の強さなのではないかと思う。

紡がれて、いま。

紡がれて、いま。見上げれば、帯のような雲が広がっていた。

ブルーベリーの実る丘へ。

お休みに入る直前、ブルーベリーフィールズ紀伊國屋さんを訪れることができた。ここを訪れるたびに、癒された。この風景を眺めていると、何かにならなくてもよかった。誰かにならなくてもよかった。

都会を、車で走る。

高速道路の高架下をくぐる、その風景のどこかに。青い帽子をかぶり、メガホンを首から下げて、父と歩く小さな私がどこかに、歩いているような気もする。愛された記憶のかけらが、ちりばめられているような。そんな道を、今日も走る。

奇跡の価値は。

やってしまった。ついに出た。何がって、「ラッキーカード」である。何のカードって、「プロ野球チップス」のラッキーカードである。

ユニクロの思い出。

あの日、ドキドキしながら自転車を漕いだ時間を思い出しつつ、ユニクロの服を手に取る。いい時代になったものだと、改めて思う。

彩る、大雪。

蕾を眺めてぼんやりしていると、あたりを走っていた娘が、ズボンにびっしりと「ひっつき虫」をつけてきた。それを指摘すると、ケラケラと笑う娘。ズボラな娘がそのまま家に帰ろうと歩き出すのを、私は追いかけた。時に、大雪。彩る、大雪。

いいじゃないか、こころが喜ぶのなら。

いいじゃないか。こころが、喜ぶのなら。という言い訳をしながら、私は今日もプロ野球チップスを買いに行くのだ。

ふと肌に触れる冷たさに、ふるさとを想うこと。

ときに、初めて訪れる街を歩くときに、その雰囲気に似たものを感じることがある。見知らぬ街に。あるはずもない、故郷を想う。

夢、娘との小話。

「おとうさんは、なにになりたかったの」「何に、かぁ。小学生のころは、プロ野球選手かな」

トン、トン。

隣の娘が、暗闇の中でごそごそと寝返りを打っていた。小さなころから寝つきが抜群によかった娘にしては、めずらしい。

いつか歩いた境内に。 ~愛知県津島市「津島神社」訪問記

よく晴れた秋晴れの日、愛知県津島市の津島神社を訪れた。かつて、生を受け、高校を卒業するまで暮らした、津島市。その氏神様を、久しぶりに訪れることができた。

コミュニケーションの効用は、遅れてやってくる。

人のこころというのは、頭で考えているのと違う時間軸が流れているのかもしれない。相手に何かを伝えようとしても、すぐには伝わらない。相手のリアクションを期待してするコミュニケーションが、ことごとく裏切られるのは、そのためだ。コミュニケーション…

青々と実るドングリの下で、循環について想うこと。

季節はめぐり、生命もまためぐる。いつかは、私も。そして、息子も。いつかは。土に、還る。

なんでもない日は、だれかのとくべつな日。

なんでもない日は、だれかのとくべつな日。わたしのとくべつな日は、だれかのおかげさま。美味しい記憶は、どれもとくべつな日。

カブトムシの幼虫を求めて、古い傷の記憶をたどること。

その一人一人に、それぞれの暮らしがあって、「その日」を生きている。けれど、その光景を眺めている私には、どうもそれが馴染まなかった。どこにも、入れない。どこに行っても、居場所がない。異邦人。帰り道の夕暮れは、どこまでも闇に沈んでいくように見…

アイスクリーム、ぼとん。 ~痛みは、才能を正確に描写する。

痛みを、何かを通じて表現すること。そして、誰かと分かち合うこと。それができたとき、その「痛み」は、その人の手を離れて、あの日の空へ還すことができる。その瞬間に、「痛み」は昇華する。それが、ときに「才能」と呼ばれるものの正体なのだろう。

「くるくる」と、いつかの後部座席の揺れについて。

久しぶりに見た、レギュレーターハンドル。ずいぶんと、懐かしい心地がした。その懐かしさが、父の車の記憶だと気づくのに、しばらくかかった。父が乗っていたセダンの窓もまた、このレギュレーターハンドルだった。

眠り、愛、悩み、肩甲骨。

「おとう、トントンして」めずらしく一緒に寝る、と言って隣にきた息子がそういう。娘に比べて、寝つきが悪いのは赤子の頃からずっとだが、それにしてもその夜は寝付くのが遅かった。

大瀬良大地のキラキラカードと、バランスを崩すことについて。

全体の、バランス。最大多数の、最大幸福。それを考えるものまた、長所であり才能の一つなのだろうけれども。時に、それを崩すのも、必要なのかもしれない。

「けのび」をするように。

流れのままに。任せて、委ねて、預けて、そのままに。

篠突く、長月。

激しくなったかと思えば、時折緩やかになり。その緩やかな雨の音は、どこか旧い記憶を呼び起こすようだった。

別離に、慣れること。

「バイバイ。また、あの森で会おうね」再び会えることを信じてやまない息子にとって、別離とは慣れる類いのものでもないのかもしれない。「また、会おうね」私も、そう繰り返した。

試される、日曜朝5時。

人はときに、「痛み」で誰かとつながろうとする。癇癪を起こしたり、ネガティブな感情をぶつけたり、方法はさまざまだ。目に見えるその結果は、影絵に過ぎない。本命は、そこじゃない。

蜃気楼とクロール。

あれは、小学生のいつの夏休みだっただろう。「クロールで25m泳げない生徒のための夏休み特別講習」があった。多くの子たちがクロール25mをクリアし、背泳ぎやバタフライに挑戦していく中、私は息継ぎがどうしてもできなかった。

頑張って一人でどうにかする時代は、もう終わったんだ。

何の衒いもなく、「おとう、クッパをやっつけるとこだけやりたいから、そこまでやって!」とお願いしてくる息子を見て、つくづく思う。小さな私には言えなかった台詞だ。時代は、変わった。頑張って、一人でどうにかする時代は、もう終わったんだ。

八月十五日。

ほんの、7,80年前、いまとは全く違う空が、広がっていた。そう思うと、私を縛る、この不自由な諸々の価値観が、脈々と受け継がれてきた愛のあかしなのかもしれず、どうしようもなく、いとおしい。

墓前と、空の青さに捧ぐ。

空の青さは、祈りを捧げたくなる。一雨降った後の風は、どこか秋の気配を孕んでいた。いつも煩いはずの蝉の声は、不思議とあまり聞こえなかった。

葉月十二日のそら。

いまそこにある生を祝福し、その隣にある死を悼む。それは、どこか空の青さと雲の白さのグラデーションを眺めることに似ている。