大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

四季五感

処暑、吹く風と寂しさに。

今日から「処暑」。 厳しい暑さも峠を越して、徐々に朝晩は涼しい風が吹き始める時候。 七十二侯では「綿柎開(わたのはなしべひらく)」、綿の花のがくが開き始め、中の綿毛が見え始めるころとされます。

はじまりは、いつも雨。

はじまりは、いつも雨。 珠玉の名曲のタイトルを思い出しながら、傘を開く。 開いたその傘を叩く音が、心地よかった。

涼やかに、しかし確かな、虫の声。

時に立秋。あるいは「寒蝉鳴、ひぐらしなく」の頃になりました。 「カナカナカナ…」という、ヒグラシの声。そのもの悲しい調べは、否が応でも夏の終わりを感じさせてくれるようです。 しかしながら、私はヒグラシとは縁がないようで、ほとんどその姿と声を聞…

立秋の空に。

暦の上では、秋立てる日を迎えました。 七十二候では「涼風至、すずかぜいたる」、徐々に秋の涼しい風が吹き始める時候。

大暑の末、夏の終わり。

あの色の空は、またどこかで見られるのだろうか。いや、以前にどこかで見たのだろうか。 そんなことを想いながら。ただ、夏が過ぎゆくのを、そのままに感じるのです。

ただ見上げているだけで、という感覚。

ただ、見上げているだけで。 いま、この時間が、とても豊かで、満たされて、いとおしく想える。 そんな、感覚。 それは、幸せの形に、少し似ています。

蒸し暑さを、喜ぶ。

夏らしい夏の気候の時期は、ほんとうに短いものだな、と。だからこそ、この蒸し暑さも、楽しみたいものです。この目の前の、小さな紫の花のように。

木漏れ日の下で。

いつか、今日この日も、思い出に変わるのでしょうか。それもまた、うれしく、また、せつなく。

抜け殻、風に揺られて。

大暑、いのちの輝き。その盛りは、終わりが近いからこそ、輝きを増すのかもしれません。

大暑と、桐の花。

時に大暑、一年のなかで最も暑さが感じられるころ。あるいは、「桐始花結(きりはじめてはなをむすぶ)」。古来から神聖な木とされてきた桐の木が、その花を咲かせるころ。

梅雨明けに想う、鉢植えのアサガオ。

この時期の空を見上げていると、はるか昔の子どもの頃の記憶を思い出します。世界はどこまでも、広がっていきそうな、そんな解放感。どうしたって、夏が好きです。

過ぎ行く梅雨を、惜しむ。

流れゆく雨水がどこかいとおしく、それでいてはかなく思えてもくるようです。それは、もう過ぎ行く梅雨を惜しむことと、どこか似ているのかもしれません。

不完全さの中に、完全を見ること。

移り変わりゆくものの中に、人は永遠を見ることができます。 去りゆくものの中に、人は望郷を覚えることができます。 さびしさと痛みの中に、人はいとおしさとあたたかさを感じることができます。

鳴き始めた蝉に。

見れば夏の夕焼けが見えていた。 清涼感のある、オレンジ色のグラデーション。生命力に満ちた、夏の一日が終わる。明日は、蝉は鳴いているだろか。

そらのおと、かぜのいろ。

その感覚に触れたとき、ただ過去の自分を思い出す。 そして、そこにいたことを、思い出すことができる。 そこにいた事実を、認めることができる。

時に小暑、温風至、あるいは七夕など。

日に日に暑さが増してくる、この時期。夏の盛りを感じる時期でもあります。その折に、七夕があるというのは、どこか合っているように感じます。どうぞ、よき七夕の夜を。

想いを届けるためには、受け取る言い訳をつくってあげる。

誰かに愛を差し向けようとするならば、相手が受け取りやすい形で差し出してあげることが重要です。そのためには、「私のために」という言い訳をつくってあげることが大切なようです。

菖蒲華、あやめはなさく。

気づけば、水無月も終わり。ということは、2021年も半分が終わり。まったくもって、早いものです。そう聞くと、少し寂しくなったり、焦ったりもしてしまいますが。季節は変わらず、流れていくようです。

夏、至る日。

夏に至る日と、冬に至る日と。 もしかしたら、見えているものとは、まったく逆のことが真実なのかもしれない。

梅子黄、色について。

時に芒種、梅子黄(うめのみきばむ)。 梅の実が熟して、黄色く色づくころ。 そろそろ梅干を漬けるのに適した梅が出回る頃でもある。

紫陽花、喜雨に湿りて。

降るがままに、そのままに。 為すがままに。 しばらくそのままで、紫陽花とともに濡れていようと思った。

6月の夕暮れは黄金に染まり。

時に芒種、あるいは蟷螂生(かまきりしょうず)。昨年の秋に産み付けられたカマキリの卵から、たくさんの命が生まれるころ。そんな夕暮れは、黄金に染まるようだった。

夏よりも夏を想う、水無月の真夏日。

寂しさを、そのままに。 その愛を、流れ出るままに。 季節がめぐる、そのままのように。 ただ、そのままに。

芒種、紫陽花変化。

紫陽花の美しさ、その不思議さを、みずみずしさを。いつも感じられる身体でいたいと思う芒種のころ、笑う紫陽花とともに。

皐月の終わりに。

願いがすべて叶うのだとしたら、どんな世界を作るのだろう。案外と、いま目に映る世界、そのままなのかもしれない。皐月の終わりに、そんなことを考えた。

梅雨入りと紫陽花。

小さなものを愛でていると、大きな愛に包まれるようにも感じる。 花は誇らず、そこにあるだけ。 花は誇らず、ただ咲く。

雨の小満と、内省と。

ただ、うたかたのように湧き上がっては消えてゆく、自らの感情を見つめること。 現れては消えゆき、変わりゆく感情を、見つめているという事実だけが、変わらない。 それが、内省と言える。

降り出した雨。

雨の日は、どこか懐かしい。 澱のように積もった何かを、雨音が流してくれるからだろうか。

薫る風、揺れる花。

小さな白い花。スノーデイジー。 ノースポールとも呼ぶらしい。 どこかお雛様の三人官女のようなその姿を、しばし眺めていた。

立夏、夏の始まりに。

立夏、夏立てる日。運ばれてくる空気は、どこか熱量を帯びたような色をしてきた。足元に見る花は、原色のように鮮やかな色が多くなった。名も知らない小さな虫を、よく見かけるようになった。あふれるような生命力の季節、太陽の季節。