大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

人は自分の見たいものしか見ていない、というお話

いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。

人は自分が見たいものしか見ていない、とよく言われます。

人それぞれの心のフィルターを通して見たいように見ているからです。

そのフィルターを取り替えてくれるのは、やはり「他人」であり「問題」だと思うのです。

 

誰かと同じ映画を見ても、全く違った場面に目を引かれたり、違う台詞に心惹かれたりするように。

あるいは紫外線や赤外線のように、そこにあるのにもかかわらず、見えないというように。

私たちが世界を見るとき、そこにはある種のフィルターを通して見ているようです。

紫外線や赤外線は誰の目にも見えないのでわかりやすいのですが、一方で心に残った映画のワンシーンやセリフのようなものは、私たちの心のフィルターを通しているようです。

それは興味のフィルター、と言い換えてもいいのかもしれません。

先日、そんなことを感じることがありました

週末の公園で、梅雨の合間の青空にこんな不思議な雲が広がっていました。

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私にはVサインをしているように見えました。

これは何か必勝のお告げか?

そういえば、ちょうど今日から函館競馬が始まったしな・・・

中京競馬場に突撃するのもありだな・・・

などと訳の分からんことを考えておりましたが、同じ雲を見ても全く目にもとまらない方ももちろんいらっしゃいます。

あるいは目に入ったとしても、全く違う印象を持つ方もいらっしゃいます。

実際、公園で遊ぶ子どもたちや、そのお父さんやお母さんは、そんな雲など気にも留めできないようでした。

さて、この写真をネタにSNSに投稿したところ「気持ち良さそうな気候!」、「焚き火したら気持ちよさそう!」、「涼しくなったらバーベキューでもしようか!」と盛り上がりました。

ちょうどそのときいた近所の公園は、滑り台とブランコ、砂場くらいしかない小さな公園でしたので、焚き火は厳しそうでした。

やっぱり場所が問題だなー、どこか近くにあるかな?

と頭を巡らせて、ぽちぽちとスマートフォンで調べてみるわけです。便利なものですね。

そうすると、出てきました。

「近所で焚き火やバーベキューができる公園」が。

あれ?でもこれって?

何とその公園は、自宅の近所でとてもよく行くことの多い公園でした。

今まで私はバーベキューなどを自分でしたことがありませんでした。

すると、そうした施設が目に入らないのですね。

どうも私たちの頭は、興味がなかったら必要でなかったりすると、情報を情報として認識しないようです。

私の例でいえば、「バーベキューは私には関係のないことだ」というフィルターでしょうか。

そして、そのフィルターの目詰まりを取り除いてくれるのは、やはり自分の周りの「他人」のようです。

自分と全く違う眼を持った「他人」の存在は、身近であればあるほど、自分のフィルターを取り替えてくれる存在のようです。

そして「他人」に加えて、ここのところ集中的にお話ししている「問題」にも同じことが言えます。

今までの自分の見方を吹き飛ばしてくれるのが、いわゆる「問題」と呼ばれるものだからです。

あの病気があったからこそ、身体の声に耳を傾けるようになれた。

あの失敗があったからこそ、周りの人の優しさに気づけた。

どうしようもなく孤独だった時間があったからこそ、人とつながる喜びを深く感じられるようになった。

あの彼女の浮気があったからこそ、自分の愛の深さに気づけた。

辛い別離があったからこそ、人の出逢いに感謝できるようになった。

そんな恩恵は、いろんなところで聞くことができますよね。

そう考えると、身近な「他人」と同じように、「問題」も自分の世界を広げてくれる、大切な恩恵なのでしょう。

 

今日もお越しいただきまして、ありがとうございました。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

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