ヒーローはその「役割」ゆえに、悪者や救ってあげる人を必要とします。
そして「役割」とは、自分を否定することの埋め合わせから生まれます。
そんな「役割」の心理と、その手放し方についてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.すべてのヒーローは、悪者や救ってあげる人物を必要としている
あなたがもし人間関係で「ヒーロー」の役割を演じているとしたら、気づいてください、あなたには、自分のすばらしさを示せるように、だれかを救う状況がなくてはならないのです。
つまり、あなたのパートナーは悪役を演じるか、たえず救いを必要としている人にならざるをえないということです。
これは幸福な選択ではありません。
スターとして舞台の中心に立つということは、パートナーが脇役にまわらなければならないという、微妙な競争をけしかけることになります。
けれどもあなたが自分の感情や、自分自身とつながることを学べば、あなたの劇ではだれも脇役にまわる必要がなくなっていきます。
「役割」というものはすべて、「自分はダメだ」という思いに対するうめあわせなのです。
たとえばあなたが「自分は悪い」と感じて、「悪く」ふるまったとします。
すると、そこにはたくさんの役割が生まれます。
「自分は悪い」という思いから、あなたは悪者になったり、救いを求める被害者の役になったりします。
あなたが輝かしいヒーローであるような状況をつくりだしているのなら、自分に聞いてみましょう。
「私がヒーロー役をやっている動機は何だろう」と。
状況がどうであれ、あなた自身が演じている役割の内側を見て、そこにある「自分がダメだ」を探してください。
ヒーローの役割でも、あらゆる役割と同じように、報酬はすべて役割のほうにいってしまいますから、あなた本人は受けとることができません。
そして受けとることができないと、前へは進んでいけないのです。
パートナーもまたスターになる、という立場をあなたが積極的にとれば、それは相手に与えつづけていくというコミットメントの第一歩であり、それによって二人とも前進することでしょう。
あなたの役割が何であれ、それを手放し、あなたの感情ともう一度つながりましょう。
そうすれば、パートナーといっしょに歩んでいけるだけの広さと、より大きく受けとる力が生まれてくるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.125,126
2.「役割」が生まれる心理
今日のテーマは、「役割」でしょうか。
この「傷つくならば、それは『愛』ではない」は、端的な表現の中に、深く考えさせられるテーマを書いていることが多いのですが、今日は多弁なようです。
というか、一読していただければ「なるほどなぁ」と感じていただけるのではないでしょうか。
しかし、それだとここで今日の記事が終わってしまいますので、がんばって書いてみたいと思います笑
「役割」がつくる人間関係
今日のタイトルが、まさに象徴的だと思います。
特撮のヒーローものでも、あるいはアクション映画でも、「悪役」が存在します。
その「悪役」から、みんなを救うのが「ヒーロー」になるわけです。
しかし、見方を変えれば、「ヒーロー」は「悪役」が存在することを必要とすると見ることもできます。
「悪役」が出てこないと、番組や映画が成り立ちませんものね。
一方が「ヒーロー」であるならば、もう一方は「悪役」か、「それに救われる人」にならざるを得ません。
これは、特撮ドラマに限らず、あらゆる人間関係において、起こることです。
親子関係、パートナーシップ、仕事上の関係、あるいはカウンセラーとクライアントの関係にも。
自戒を込めてですが、カウンセラーという「役割」を演じるほどに、「癒されなければいけないクライアント」をつくりだしてしまいます。
いやはや、ほんとうにいろんな「役割」があります。
そして、その「役割」は、本文にある通り、幸福な関係をつくりだすことはありません。
仕事をしない上司は、誰がつくるのか?
かつて、私がとてもハードワークをしていたころ。
ある上司の方は、あまり積極的に仕事をする方ではありませんでした。
私があれこれと気を回して、仕事を拾っていった結果、ますます「仕事をしない上司:仕事を拾う部下」の関係が強化されていきました。
周りから、言われるんですよね。
「ほんとに、あの人は仕事しないよね。あなたで回っているようなものだよね」
表面上は、高速首振り扇風機のように否定しながらも、私の心の奥底では、それを求めていたのでしょう。
その「役割」を演じることで、自分の無価値観から目を逸らしたかったように思います。
あるいは、自分の力を証明するために、その「役割」を演じていたともいえます。
「こんなに忙しいのに、仕事してくれない!」
と嘆きながら、実は自分がその状況を望んでいるという、自作自演の典型的なパターンですよね。
書いていて、なかなかお恥ずかしい経験ではありますが…
「役割」は、自己否定がもたらす
さて、そのように「役割」を演じると、周りからこう言われることがあります。
「あなたはすごいね」
「あなたのおかげだよ」
「それにひきかえ、あの人は…」
しかしながら、そうした言葉は、なかなか受け取れないものです。
これが、「役割」のしんどいところです。
ヒーローの役割でも、あらゆる役割と同じように、報酬はすべて役割のほうにいってしまいますから、あなた本人は受けとることができません。
まさに、引用文にある通りです。
結局、周りがどれだけ評価してくれたとしても、それは「役割」に対してのものであり、それゆえに「自分自身」は受けとることができません。
穴の開いたバケツに水を溜めようとするがごとく、
あるいは回し車のハツカネズミのごとく、
走り続けなければ、「役割」を演じ続けなければ、いけなくなります。
それは、終わらないマラソンを走り続けるように、しんどいものです。
3.「役割」を手放すには、自分の感情とつながること
過去の傷から、「役割」を演じるようになる
「役割」の根底には、自己否定があることを見てきました。
では、なぜ「自己否定」をしてしまうのかといえば、そこには、やはり古い傷や痛みが横たわっています。
何もできない、無力な自分。
そのことを誰かに責められたり、怒られたりした、ということがあったのかもしれません。
あるいは、大好きだった人を、自分の無力さゆえに、助けられなかった、という想いかもしれません。
そうした過去の傷や痛みから、人は「役割」を演じるようになります。
さて、これを逆から見れば、この過去の傷や痛みと向き合うほどに、「役割」を手放し、降ろせるわけです。
自分の感情と向き合い、つながること。
もう、この「やさしい心理学」では、もう何度も書いているテーマですね。
結局のところ、ここに行きつくようです。
なぜ、傷ついたのだろう?
これもまた毎回同じようなお話をしている気がしますが、それでも書きます笑
「役割」は自己否定がつくりだすものであり、その奥底には過去の傷や痛みがある、と書きました。
ヒーローという「役割」を演じる人は、心の奥底に「自分はダメだ」という自己否定を抱えていることあり、それは過去の痛みからくる。
だから、その痛みを癒していくと、「役割」を手放せるようになる、と。
それはもちろん、そうなのです。
しかし、少し見方を変えてみるのであれば、「なぜ、その経験で傷ついたのだろう?」という視点を持つこともできます。
先ほどの例でいえば、なぜ、無力な自分ではダメだったのか。
これは、ゆっくりと時間をかけて考えてみる価値のあるテーマだと思います。
その人なりの、理由があるかと思います。
しかし多くの場合、それは突き詰めていくと、「大切な人に笑って欲しかったから」「大好きな人を守りたかったから」という想いにたどり着くように、私は思うのです。
それは、「愛」としか呼べないような、とてもやわらかで、そしてあたたかな想いです。
「役割」を降ろしましょう、と簡単に言うよりも。
そうした想いを見る視点を忘れないようにしたいと、私は思っています。
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