大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

やさしい心理学

「すいません」と言いたくなるタイミングで、「ありがとう」を伝えてみよう。

罪悪感があると、周りから愛を贈られると「すいません」と言いたくなるものです。それを「ありがとう」に変えてみると、少しずつ愛が受けとれるようになります。

「受けとれない」ときは、「ありがとう」の魔法を使おう。

あなたに贈られてくるものは、あなただから贈られてきたものです。だから遠慮なく受けとっていいですし、もし申し訳なさがでてきたときは、「ありがとう」の魔法を使いましょう。

「受けとらない」は自立をこじらせた態度であり、「受けとれない」は罪悪感が悪さをしている状態。

「受けとらない」と「受けとれない」という二つの状態について、考えてみます。それぞれの状態によって、対処法が変わってきます。

愛を受けとならないのは、美しい謙遜ではなく、たいせつな人を傷つけてしまう傲慢さである。

愛を受けとらないのは、美しい謙遜ではありません。それは傲慢さであり、相手を傷つけてしまいかねません。愛を受けとることは、あなたも、あなたの大切な人も、笑顔にすることです。

「愛を受けとる」ことは、相手との関係性をよくする魔法。

誰かとの関係性をよくしようと思ったとき、その相手に「与えよう」としてしまうものです。しかし、相手の愛を「受けとる」ことに意識を置いた方が、変化を感じやすいものです。

相手を変えようとしていると、愛が受け取れなくなる。

「愛を受けとる」という視点から、相手を変えようとすることやコントロールすることの不毛さについて、考えてみます。

他人を変えようとしても、うまくいかない理由について。

他人を変えようとするのは、うまくいかないと言われます。その理由と、他人を変えようとする代わりにできることについて、考えてみます。

周りの人は、自分が自分をどう扱っているかを教えてくれているだけ。

周りの人が自分をどう扱うかは、自分が自分をどう扱っているかによります。周りの人は、それを自分に教えてくれているようです。

忌み嫌ってきた自分を受け入れることの恩恵とは。

自分が嫌ってきた自分を受け入れることができると、たくさんの恩恵があります。安心感やつながりといったものを感じやすくなりますし、何よりも大切な人に、それを与えることができるようになります。

忌み嫌ってきた自分の受け入れ方について。

自分のなかに忌み嫌っている部分があると、どうしても生きづらさを感じやすくなります。そうした忌み嫌い、隠してきた自分の受け入れ方のヒントについて、お伝えします。

心の癖やパターンもまた、自分の大切な一部分。

何かの問題の原因となる心の癖やパターンがあると、それを矯正しようとしてしまうものです。しかし、それら自体もまた、自分の大切な一部だと愛する方が、問題の解決には近いように思います。

自分の心の癖に気づいたら、それを自分責めのネタにしないこと。

心理学の洞察は、他人に向けるのではなく、自分自身と向き合うために使うものです。そして、自分の心の癖に気づいたら、それを自分責めのネタにしないことが大切です。

誰かからの無視や無関心で傷ついたと感じるときは、自分が自分に対してそうしているとき。

誰かからの無視や無関心で傷ついたと感じるとき。それは、自分が自分に対してそうしていると気づくタイミングです。相手に視線を向けるよりも、自分が自分をどう扱っているかを、見直してみてはいかがでしょうか。

無関心や無視はひどいと言うけれど、自分に対してそれをしていないだろうか。

「愛することの反対は、無関心」とはよく言われることです。しかし、その愛の対極にある無関心を、この世にたった一人しかいない、大切な自分自身に対してしていないでしょうか。

主語を「わたし」にすると、自分自身に意識を向けやすくなる。

心が揺れるとき、私たちの視線は自分の外の世界を向いています。その視線を自分に向けるために、まずは主語を「わたし」にする意識を持つことがおすすめです。

「執着」を抜けだすカギは、その原因を責めることではなく、自分の愛とつながること。

「執着」していると、選択肢が無く、選ぶことができません。そこを抜けだすカギになるのは、「執着」する自分を責めたり否定するのではなく、自分の愛とつながることです。

役に立つことに「執着」してしまう原因から考える、自分の価値について。

自分がいることに価値が感じられないとき、それは結果を出したり、役に立ったりすることに「執着」してしまっています。その「執着」がどこからきているのかを考えていくと、自分の価値を信じやすくなります。

「自分がいること自体に価値がある」と考えるのは、妥協や甘えじゃないのだろうか?

「存在自体に価値がある」と聞くと、妥協や甘えに聞こえてしまうことがありますが、そうではありません。自分の価値を認めることは、どんな状況でも変わらない真実です。

たとえ、あなたが何かができなかったり、無かったり、成し遂げられなかったとしても。

私たちは、どうしても「する」ことに重きを置いて、「在る」ことの価値を忘れてしまいがちです。しかし、あなたがそこにいることには、無限の価値があります。

あなたがいるだけで、周りに与えているものがあるから。

「与える」と「受けとる」は、一見すると正反対の行為ですが、突き詰めていくと、同じことといえます。それは、自分の愛とつながることであり、自分の価値を認めることです。

「与える」ことを続けるための、セルフチェックのススメ。

誰かに与えようとすることは、私たちに大きな恩恵を与えてくれます。しかし、それが他人が主体になってしまうと、なかなか続かないものです。与えることを続けるためには、どうしたらいいかについて、考えてみます。

自分がしんどいときほど、与える意識を持つと抜けることができる。

「与えて抜ける」といわれるように、自分がしんどいときほど「与える」意識を持つことで、そこから抜けることができます。そして「与える」とは、そんなに特別なことではなくて、いつもあなたがしていることなのかもしれません、

癒されたから与えられるのではなく、与えるから癒される。

誰かに何かを与えられるのは、たくさんのものを持っているからというのが、普通の見方です。しかし心の世界では、与えることで、もっと多くのものを得ることがあります。

自分の才能を知ることで、苦しみの意味を変えられる。

何に悩み、何に苦労し、どんな問題を抱えてきたかは、その人の才能を指し示してくれます。そして、その才能を自覚することは、その苦しみや悩み、問題の「意味」を変えてくれるものです。

いままでの人生で一番苦労したことは、あなたの才能のありかを正確に指し示してくれる。

痛みを感じることは、問題と同じように、私たちの才能を正確に指示してくれます。あなたが、いままでで一番苦労したこと、傷ついたと感じたことは、どんなことでしょうか?

いま起こっていることは正しいこと、そしてあなたに必要なこと。

起こっていることはすべて正しいことであり、自分にとって必要なことといいます。たとえ傷ついたと感じることがあったとしても、それは同じです。

傷ついたのは、あなたのなかの「真実」が変わるタイミングだから。

傷ついたと感じるとき、それは自分のなかの観念が葛藤しているときです。だから、その痛みは、あなたのなかの「真実」が変わるタイミングを教えてくれています。

その痛みは、大切な人を支えることのできるやさしさになる。

心が痛いとき、それは心の器が広がっているときです。その痛みはいつか、大切な人を支えることのできるやさしさになります。

あなたを傷つけるのは、あなたしかいない。

自分が自分を責めているとき、それを周りに投影します。自分を傷つけることができるのは、自分しかいません。

「真実」は、決してあなたを傷つけない。

「真実」とは、それを受け入れるまで悪魔のように見えたりするものです。けれども「真実」は、決してあなたを傷つけることはありません。