大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

やさしい心理学

「時間」という癒しの力があるから、今日できることをすればだいじょうぶ。

「時間」というのは、偉大な癒しの力を持ちます。それは、自分が自分を癒していく力を信じることと、同じことです。

「癒し」とはOSをアップデートするようなものであり、オーダーメイドなもの。

「癒し」とは、スマートフォンのOSをアップデートするようなものといえます。そしてそれは、あなただけのプロセスを進むものです。

「癒し」からの変化は、それまでの自分を否定しない。

自己否定から自分を変えようとすると、なかなか続かないものです。しかし、「癒し」が起こると、それまでの自分を包含した変化が起こります。その変化は、根源的で永続的なものです。

癒されて半分。残りの半分は、癒された自分を分け与えてこそ。

「癒し」とは、ものごとの見方がポジティブに変わることを指します。そして、その癒された自分を分け与える意識を持つと、「癒し」を深めていくことができます。

あなたの体験が、輝くとき。

心理学に限らず、なんらかの「学び」は、自分自身の体験を通じることで、はじめて形になっていきます。そして、それを分け与えようとするとき、その体験は光り輝くのです。

「見捨てられた」という怒りに気づくとき ~大嵜直人の場合

「見捨ててしまった」という罪悪感の裏側には、「(自分が)見捨てられた」という怒りがあります。具体的に、私自身がその怒りに気づいた経験を、お話してみたいと思います。

「見捨ててしまった」という罪悪感の裏側にひそむ、「見捨てられた」という怒り。

「見捨ててしまった」という罪悪感の裏側には、「(自分が)見捨てられた」という痛みがあります。この痛みを癒していくと、「見捨ててしまった」という罪悪感も薄まっていきます。

「人よりも恵まれている」という罪悪感を癒すためには、ある種の「諦める」感覚が大切。

「人よりも恵まれている」という罪悪感を癒すには、自分の価値や才能を「受けとる」ことが王道です。しかし、それが難しいときは、「諦める」という視点を持ってみてはいかがでしょうか。

「助けられなかった」という罪悪感は、助けられる力や資質を持つ人だからこそ持つもの。

「誰かを助けられなかった」という罪悪感は、非常に強烈なものです。しかし、誰かを助けようとできるのは、助けられる力や資質を持っているからこそ、という視点を持ちたいものです。

愛を受けとるための「器」の広げ方。

70億の人がいれば、70億の「愛し方」があります。その愛を受けとるための「器」を広げるには、どうしたいいかを考えてみます。

「言わない」ことで伝えようとする愛の形も、ある。

「自分の気持ちが言えない」という悩みの裏には、「自分は汚れている」という罪悪感があったりします。「どうやったら言えるようになるか」も大切ですが、その前に「言わないことで愛を伝えようとしてきた自分」を認めてあげることをおすすめします。

そのできごとの意味づけを、ポジティブに変えるとしたら、どんな風に見ることができるだろう?

自分を癒すほどに、「罪悪感」は薄まっていきます。そして自分を癒すとは、ネガティブなできごとの意味づけを変えていくことを指します。

「罪悪感」は消すものでも否定するものでもなく、癒すもの。

「罪悪感」は、愛の裏返しであるがゆえに、それを否定するのは自己否定につながってしまいます。それゆえ「罪悪感」を考えるとき、それを消そうとしたり、否定したりするよりも、「癒していく」という視点が大切です。

「罪悪感」とは、大切な人を愛そうとしてきた証。

「罪悪感」には、大きく分けて7つの原因があります。それらをすべて避けようとするのではなく、それだけ大切な人を愛そうとしてきた証としてみる視点をお伝えします。

「罪悪感」を癒すのは、軽さ・無邪気さ・童心・純粋さ。

「罪悪感」があると、重い雰囲気になり、コミュニケーションもまた重くなります。逆から見ると、軽さや無邪気さ、童心、純粋さといった要素は、「罪悪感」を癒してくれるものです。

自分の「罪悪感」を癒すことは、パートナーの「罪悪感」をも癒す。

自分の「罪悪感」を癒すことは、関係性が近しい相手の「罪悪感」をも癒します。相手をどうこうしようとするよりも、まずは自分から始めることが、関係性を深める上でとても大切なアプローチです。

「罪悪感」が強くて、愛を受けとってくれない相手と、どうやってコミュニケーションを取ったらいいのか?

「罪悪感」があると、引きこもるか攻撃するか、という反応をされてしまうものです。そんな相手と、どうやってコミュニケーションを取ったらいいか?を考えてみます。

この世界には、わたしに向けて贈られた愛が、たくさんある。それに気づいていても、いなくても。

「罪悪感」が怖ろしいのは、自分に贈られている愛に気付けなくなることです。それに気づけるようになるのが望ましいのですが、ただ「自分に向けられた愛があること」を認めるだけでも、変わるものがあります。

「罪悪感」で受けとれないことを責めるよりも、愛にフォーカスを。

「罪悪感」があると、どうしても周りからの愛を受けとりづらくなります。その状態の自分を責めることよりも、「罪悪感」の裏側にある愛にフォーカスすることが大切です。

「すいません」と言いたくなるタイミングで、「ありがとう」を伝えてみよう。

罪悪感があると、周りから愛を贈られると「すいません」と言いたくなるものです。それを「ありがとう」に変えてみると、少しずつ愛が受けとれるようになります。

「受けとれない」ときは、「ありがとう」の魔法を使おう。

あなたに贈られてくるものは、あなただから贈られてきたものです。だから遠慮なく受けとっていいですし、もし申し訳なさがでてきたときは、「ありがとう」の魔法を使いましょう。

「受けとらない」は自立をこじらせた態度であり、「受けとれない」は罪悪感が悪さをしている状態。

「受けとらない」と「受けとれない」という二つの状態について、考えてみます。それぞれの状態によって、対処法が変わってきます。

愛を受けとならないのは、美しい謙遜ではなく、たいせつな人を傷つけてしまう傲慢さである。

愛を受けとらないのは、美しい謙遜ではありません。それは傲慢さであり、相手を傷つけてしまいかねません。愛を受けとることは、あなたも、あなたの大切な人も、笑顔にすることです。

「愛を受けとる」ことは、相手との関係性をよくする魔法。

誰かとの関係性をよくしようと思ったとき、その相手に「与えよう」としてしまうものです。しかし、相手の愛を「受けとる」ことに意識を置いた方が、変化を感じやすいものです。

相手を変えようとしていると、愛が受け取れなくなる。

「愛を受けとる」という視点から、相手を変えようとすることやコントロールすることの不毛さについて、考えてみます。

他人を変えようとしても、うまくいかない理由について。

他人を変えようとするのは、うまくいかないと言われます。その理由と、他人を変えようとする代わりにできることについて、考えてみます。

周りの人は、自分が自分をどう扱っているかを教えてくれているだけ。

周りの人が自分をどう扱うかは、自分が自分をどう扱っているかによります。周りの人は、それを自分に教えてくれているようです。

忌み嫌ってきた自分を受け入れることの恩恵とは。

自分が嫌ってきた自分を受け入れることができると、たくさんの恩恵があります。安心感やつながりといったものを感じやすくなりますし、何よりも大切な人に、それを与えることができるようになります。

忌み嫌ってきた自分の受け入れ方について。

自分のなかに忌み嫌っている部分があると、どうしても生きづらさを感じやすくなります。そうした忌み嫌い、隠してきた自分の受け入れ方のヒントについて、お伝えします。

心の癖やパターンもまた、自分の大切な一部分。

何かの問題の原因となる心の癖やパターンがあると、それを矯正しようとしてしまうものです。しかし、それら自体もまた、自分の大切な一部だと愛する方が、問題の解決には近いように思います。