何かに「執着」していると苦しいものですが、ある意味ではラクだったりもします。
「執着」を手放していくと、別の苦しさが出てきたりもします。
そんな「執着」のもたらす心の動きについて、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.すべての痛みは執着から生まれる
しがみつくことを失うと、私たちは苦しみます。
でも、真につながっていたものは絶対に切りはなすことができません。
そして、与えた愛は失われることがないのです。
執着をすすんで手放していくことこそ、痛みに入らないための鍵です。
執着しつづけるのではなく、つながりつづけようとすれば、いま、いっしょにいる人や自分の環境を楽しむことができるはずです。
そして、人や状況が変化していっても、あなたは痛みを感じなくてすむのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.249
2.「執着」を手放すときの苦しみ
今日のテーマは、「執着」ですね。
何度も扱っているテーマですが、それだけメジャーな問題ともいえます。
執着があった方がラク?
何度も扱っている「執着」ですが、今日の引用文のテイストは少し違うようです。
まず、書きはじめがこれです、
しがみつくことを失うと、私たちは苦しみます。
「執着していると苦しいので、手放しましょう!」というのは、これまで何度も書いてきたのですが、それと反対のように見えますね。
しがみつくこと、すなわち「執着」を失うと、私たちは苦しむ、と。
「執着」とは、心理的には「選択肢がない状態」を指します。
その両手で、何か(パートナー、母親、子ども、学歴、仕事…などなど)をぎゅっと握りしめていることで、新しいものを掴めない状態です。
これは、心情的には苦しいのですが、ある意味でラクな状態ともいえます。
それは、毎日、毎時間、そのことだけを考えていればいいわけですから。
たとえとしては変かもしれませんが、それは、毎日着る服が「制服だけ」に決められているようなものかもしれません。
「今日のコーディネートはどうしよう?」と、毎朝考えなくていいのは、ラクですよね。
何も考えずに、同じ制服に着替えればいいわけですから。
ただ、自分の好きな服を選べない、という意味で、とても苦しいのです。
そういった意味で、「執着」していることは、苦しいことは苦しいのですが、ある見方をすればラクである、とも言えます。
もちろん、「執着」している渦中では、そんなことは思えないのですけれどね。
「執着」がなくなると、寂しくなる
これは、「執着」を手放した経験がある方なら、なんとなく「あぁ、そうかも」と感じられるかもしれません。
「執着」から手放しが進むと、どこか手持ち無沙汰になります。
やることがなくなる、というか。
ずっと噛んでいたガムが、消えてしまったような。
どこか、寂しさというか、空しさ、虚無感のようなものを感じることがあります。
それは、いままで「執着」することで、その対象への愛情を担保していたのに、急に自分のなかに愛情がなくなったように感じるものです。
そして、どこかそのことに、罪悪感のようなものを感じたり。
それは、「執着」しているときの、燃えさかるような苦しみとは、また違ったものです。
上に挙げた、「しがみつくことを失うと、私たちは苦しむ」というのは、そういった苦しみを指しているのかもしれません。
けれど、それは「執着」していたことの反動であり、いっときのことです。
私たちは、とかく「執着」することが、愛情の表現だと考えてしまいがちです。
しかし、そうではないんですよね。
でも、真につながっていたものは絶対に切りはなすことができません。
そして、与えた愛は失われることがないのです。
引用文にもある通りです。
「執着」を手放した先にあるのは、とても静かで、しかし確信に満ちた愛です。
森の奥深く、静謐な湖の水面。
たとえ、何かがその水面に落ちて、波紋が広がったとしても。
時が経てば、またその鏡のような水面があらわれる。
「執着」を手放した先にあるのは、そんなイメージの情感です。
3.「執着」とは、過去に生きること
執着を手放すためには、「いま」できることを考えること
「執着」していることにも、ラクな面がある。
けれども、それを手放した先には、新しい世界が待っている。
「執着」しなくても、私たちはつながっています。
それを、季節がめぐるように、雲が流れるように、当たり前のように信じることです。
「執着」することとは、何がしかの過去に生きることといえます。
だから、「執着」を手放すには、意識を「いま」に引き戻すことが重要だったりします。
「いま」、わたしには何ができるだろう?
「いま」、できることは何だろう?
そう自分に問いかけることは、意識を「いま」に引き戻してくれます。
それを積み重ねていくことは、「執着」の苦しみを和らげてくれます。
そうしていくと、「執着」の苦しみ、痛みに嵌ることが少なくなっていきます。
「執着」とは、気づけばしてしまうもの。
「執着しないようにしよう!」というよりも、「執着」していることに気づいたら、手放していけばいい、と思っておけばいいのでしょう。
今日は、「執着」のもたらす心の動きについて、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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