大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

豊かさをめぐる秋分の丹後路1 ~飯尾醸造さんの稲刈り体験会

美しき丹後の棚田。飯尾醸造さんの、黄金色に実る稲刈りの体験に参加。豊かな自然に、心洗われる時間。

「自分らしく生きているのに、周りに嫌われる」という場合に考えられる2つのパターンについて

「自分らしさ」を取り戻していくと、時に周りと葛藤や衝突が起こったりします。「自分らしさ」について考えるとともに、自分らしく生きているのに周りに嫌われることが起こった場合に、持っておきたい視点についてお伝えします。

「愛情」と「愛」の違いについて ~愛情とは感情であり、愛は時を止める

「愛」と「愛情」の違いについて、考えてみます。「愛情」とは、寂しさや悲しさと同じ、感情の一つですが、「愛」はそうした感情とは少し違うようです。生きることは、「愛」に還る旅のようでもあります。

【ご感想】 ありのままの私でいいなあって思う自分を尊重したいと思います。

カウンセリング・モニターのご感想をいただきました。「ありのままの私でいいなあって思う自分を尊重したいと思います」

【ご感想】 カウンセリングを受けて、これまで自分が光の当てられなかったところに光を当ててもいいのかぁ、と思いました。

カウンセリング・モニターのご感想をいただきました。「これまで自分が光の当てられなかったところに光を当ててもいいのかぁ、と思いました」

【満席御礼】2022年10月度 カウンセリング・モニターを募集いたします。

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。10月度のカウンセリング・モニターさまを募集いたします。初めての方、リピーター様、どなたさまでも歓迎です!

「べき・ねば」と感じるときは、「本当はそうしたくない」、「誰かにやってほしい」という他人への依存心が隠れている。

「…するべき」と感じることは、私たちの心は疲弊するばかりか、周りの人にもそれを要求するので、関係性を悪化させます。そうした「べき・ねば」の裏にある心理と、その緩め方についてお伝えします。

「自立」の極みにいるとき、人には頼れなくても、祈ることができるのかもしれない。

「自立」の特徴として、「人を頼れない」というマインドがあり、それはしんどくて苦しいものです。その苦しさに光を見る視点と、誰かを頼るためのヒントについてお伝えします。

【ご感想】 自分のこれからに希望を感じられる90分になりました。

カウンセリング・モニターのご感想をいただきました。「情熱を向けられる先が、なんとなく見えてくるような、自分のこれからに希望を感じられる90分になりました」

「感情」を感じることは、それだけで偉大な癒しであり、ヒーリングである。

「感情」を感じることは、もっとも基本的な癒しの方法です。けれども、私たちは「自立」していく中で、「感情」を切り捨ててしまうものです。そうしたプロセスと、「感情」の性質について、お伝えします。

イヤな相手との、心理的な「闘い」を終わらせるための処方箋。

心理的に誰かと闘っているとき。それに勝っても負けても、闘いは終わらず、その螺旋からは降りられません。その闘いを終わらせるための処方箋について、お伝えします。

他人からの非難がムカつくのは、自分がそこに罪悪感を持っているからであり、だからこそ自分にとって大切なものを教えてくれる。

他人から非難されて傷ついたり、怒りを感じたりするのは、自分自身もそこを責めていたり、罪悪感を持っているからです。だからこそ、それは自分にとって大切な部分であると見ることができます。他人の非難から、自分の愛を見つける視点をお伝えします。

「手で触れる」ことの奇跡について。

愛おしいパートナー、家族やペットといった大切な存在に「手で触れる」ことは、私たちに深い癒しをもたらし、つながりと親密感を生みます。それと同じように、自分自身に触れてみてはいかがでしょうか。

「罪悪感」と「無価値感」、それぞれを癒すための問いかけ。

まったく違うようでいて、実は近いところにある「罪悪感」と「無価値感」の心理。その心理を見ていきながら、それらを癒すための視点と問いかけをご紹介します。

本来の自分を思いだすために、自分の才能、価値、魅力を自覚し続ける、ということ。

本来の自分に近づくほどに、問題は小さくなり、ものごとがスムーズに流れはじめます。それは「近づく」というよりも、「思いだす」という感覚の方が近いのでしょう。そして、本来の自分を思いだすためには、自分自身の才能、価値、魅力を自覚し続けることが…

私たちを過去に縛りつける「未練」を手放すには、自分の愛に価値を認めること。

私たちを過去に縛りつけるのが「未練」ですが、それを抱くのは自分が愛されなかったときよりも、自分が愛せなかったときです。そして、「未練」を手放して前に進むためには、自分自身の「愛」に価値を見ることが大切です。

【ご感想】 それだけ大きな愛を持っているということ、という視点にはとても驚くと同時に救われたような気がしました。

カウンセリング・モニターのご感想をいただきました。「それだけ大きな愛を持っているということ、という視点にはとても驚くと同時に救われたような気がしました」

私たちはもともと「無垢」な存在であり、生きることはそれを思い出す旅である。

「無垢」であることは、愛する人にとってかけがえのない贈り物になります。「無垢」とは純粋さ、童心、無邪気さであり、私たちの本来の姿です。またそれとともに、行かなければならない場所を持たない、という意味でもあります。

「怒り」とは傷に触れた合図であり、怒っている相手には「この人は誰を愛したかったのだろう」という視点を持つことができる。

「怒り」とは、触れられたくない傷に触れたという合図です。それゆえ、相手が怒っているとしたら、「この人は、誰を愛したかったのだろう」と見ることは、相手のみならず、自分自身にも大きな恩恵を与えてくれます。

「ワーカホリック」の心理と、そこから自分のライフワークを考える視点について。

仕事とは、ある意味で刺激物です。自分の心のなかに、何か「足りない」と感じていたりする部分があると、私たちは「ワーカホリック」の心理にはまります。その心理をゆるめ、才能やライフワークを考える視点をお伝えします。

相手の美点を見つめ続けること、探し続けることは、自分自身をも癒してくれる。

過去の傷や痛みが、「判断」の心理を生み、それは分離間や孤独感によって自分を傷つけます。しかし、相手の価値や魅力にフォーカスし続けることは、自分自身を癒してくれるようです。

「愛」とは、時を止めることであり、永遠を生きることであり、天に柱を立てること。

「愛」とは、時を止めることであり、永遠を生きることであり、天に柱を立てることです。それは感情の一つである「愛情」とは異なり、真の意味で人が生きるための目的であり、人が人である所以です。

大好きな人が笑顔だと嬉しくて幸せになるならば、あなたの笑顔もまた同じである。

大好きな人が笑顔で幸せそうにしていると、私たちはとても満たされ、幸せを感じます。そしてその逆もまた、同じです。時に忘れてしまいがちな、その当たり前の視点をお伝えします。

「犠牲」の心理とそこに愛と価値を見る視点、そしてその処方箋について。

「犠牲」とは、誰かのために、自分が幸せではない行動を取ることを指します。それは、過去に満たされなかった欠乏感や無価値感が引き起こす心理なのですが、その処方箋とゆるめ方について、お伝えします。

自分を傷つけ、幸せを遠ざける「復讐」の心理を、愛の視点から見てみる。

「復讐」とは、自分を不幸せにすることで、相手に仕返しをしようとする心理をさします。そうした「復讐」をしたくなる相手を、愛の視点から見ることをお伝えします。

誰かを批判することが生む役割と犠牲の心理と、それを手放すための「許し」について。

誰かや何かを「批判」するたびに、「役割」と「犠牲」という副作用がついてきます。その根底にあるのは、何がいい/悪いという「判断」です。そうした「判断」の心理と、それをゆるめるためのヒントについてお伝えします。

「いまを生きる」とは、いまこの瞬間にある美を見つけ続けること。

私たちはよく、過去に生きようとしてしまいます。 その過去が、美しい思い出であっても、黒歴史であっても。 そうではない、「いまを生きる」とはどんなことなのか、考えてみます。 名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:…

誰かを「許す」ことは、自分の望みを叶えやすくしてくれる。

「許し」とは、ある相手やできごとを、主体的に100%受け入れることを指します。それは相手のためではなく、自分自身のためにする行為です。そうした「許し」の恩恵と、許せないときの考え方についてお伝えします。

「喪失感」と「創造性」は、とても近い場所にある。

「喪失感」とは、何かを失ったときに感じる痛みです。それは、私たちの生が儚いものであることを、思い出させるがゆえに、とても痛いものです。しかし「喪失感」と非常に近い場所に、「創造性」もあります。

蝉と鈴虫の声がまじわる、長月はじめの熱田さん。

気づけば葉月も終わり、長月に。そのはじまりに、熱田神宮を訪れることができました。蝉の声と、鈴虫の声。夏と秋が、交差するような、そんな時間でした。